あいまいもこ・・・保育園をつくる七つの原則 7
あいまいもこは,限定されないで,どっちつかずで,はっきりしないことです。建築か庭か街か,内部空間か外部空間か,建物か衣服か,遊びか仕事か,今か昔か未来か,完成か未完成か,秩序があるのかないのか,部分か全体か,本気か冗談か,生徒か先生か,誰がデザインしたのか・・・。私たちはこのようなことがらについて,あいまいもこな世界に住み続けていきたいのです。
機能をあいまいにする
あいまいな日本の住居:
近代建築以前の日本の家屋は、あいまいな構成でした。畳の続き部屋をふすま戸で仕切ったものでした。必要に応じて融通無碍にしきりを変えて使われました。縁側の雨戸、障子戸を開けると、内と外が一体化し自然と一体となった建築になります。

機能主義の限界:
近代建築は、機能主義という考え方を基本としています。機能主義では、人の行動を機能によって分類し、それに該当する部屋(またはスペース)を用意し、それぞれの部屋を動線(廊下)で結ぶという形式を考え出しました。建物は、それらの部屋を合理的に配置して組み立てるべきものと考
えました。建物の形態(外観)は、それ故、内部の機能によって自動的に、合理的に現れ出てくるべきものと考えられました。建築家が、この方が美しいからなどという恣意的な理由で、屋根を三角にしたり四角にしたりすることは、慎むべきことだと考えられていました。無駄や「あいまいもこ」なものは省いて、機能的で合理的で、効率的なものだけで、建物を構成すべきだと言うことです。機能主義は、日本では日本人の生活の西欧化という目的に向かって、高度経済成長期に広まりました。特に合理性、効率性を追求するオフィスビルや、恣意的でなく客観性を求められる公共建築で広く採用されるようになったのです。新しい制度としての、幼稚園や保育園が建設される時、この小学校の形式がモデルとされました。本来ならば、機能的に異なる保育園には、それに相応しい形式が必要だったのですが、そこまでは考慮されませんでした。当時の建築学の知識から言えば、仕方のないことでしょう。
プログラムとアクティビティー:
ランチを食べるためのランチルームを作る、というやり方は機能主義です。もしそのランチルームがとても素敵で、子どもたちが大好きな場所で
あれば、それは大成功です。もしランチルームの前に広い縁側があり、日当たりが良く風が気持ちが良いので、今日は縁側でお昼を食べましょうということが起きる。素敵なことです。そうしたらとても気持ちが良いので明日も食べようと言うことになる。その内、いつも縁側で食事をするようになってしまった。これも素晴らしいことです。そのランチルームは、お昼のあとのお昼寝の場所にしたら、子どもたちがとても気に入った。これもさらに結構なことです。ランチルームが欲しくても、それを持てない保育園が多いと思います。しかし、ランチルームを持たなくても、ランチはどこどこで食べるという複数の「プログラム」を作ることで、ランチを食べるという活動「アクティビティー」を活性化することが可能です。むしろこのような考え方が、新しい建築のあり方と考えられています。
普段は、陽当たりの良い部屋Aでランチを、時々は見晴らしの良い部屋Bで。週に一度は、大きな部屋でみんな集まって。良い季節の天気のいい日には、庭のケヤキの木の下で、などなど。このようにプログラム(計画)によりアクティビティー(活動)を活性化させます。機能というものを想定して、それに部屋を1:1で対応させる方法では、現実の生活に適応できないことが認識されるようになってきました。建築の世界では、機能という言葉に代えて「プログラム」とか「アクティビティー」という言葉を使って、より流動的な建築のあり方を説明しようとしています。特別な目的の活動をするのでもない限り、人々は機能的に動くわけではありません。むしろ、気持ちが良いというような主観に従って行動することが多いのです。また、人々の行為は常に一つに集中しているわけでもありません。食事をしながら外を眺めていたり、椅子に座りながら風を感じていたりします。決められた場所で決められたことをするばかりではありません。決められた使い方を強要する空間は、窮屈です。むしろ使う人の想像力が喚起された、新しいプログラムが生まれるような「あいまいもこ」とした空間を作ることが必要なのです。ランチルームの例に戻します。ランチルームを設計する時は、必要な人数の子どもが整然と並んで食事をするスペースを作るだけでは不十分です。そこは陽当たりや風通しが良く、気持ちの良い場所であることや、窓から庭の桜の木が見えて美しいとかを考えなくてはいけません。
境界をあいまいにする
部屋と部屋:
部屋を固い壁と、重いドアで囲うのは、その部屋が特別な機能、目的を持つ様な、限られた場合の考え方です。保育園のほとんどの部屋は、それには該当しないものです。保育園では、部屋と部屋の境界は、柔らかくあいまいに仕切ることを考えましょう。廊下はなるべく作らない様にしましょう。廊下が長くなるほど、建物は生活感を失い施設のようになってしまいます。もし廊下がどうして必要な場合には、廊下に本棚を付けたり、ベンチアルコーブを付けたりして、そこでの活動のイメージを豊かにしましょう。ただ通り過ぎるだけのスペースは不要です。
室内窓/窓は普通、外と内のつながりのためのものと思われています。しかし、屋内通しを結ぶ窓が必要な場合が多くあるのです。室内窓を設けると、見通しが良くなり、建物内が活き活きとしてきます。そしてそこにいる人の連帯も深まるのです。開け閉めできる窓が相応しくない時は、単にはめ殺しの窓でもかまいません。
通り抜け部屋/部屋から部屋への移動を、廊下を通ってするのではなく、直接につながるようにすると人々の交流に大変効果的です。音の問題などで、部屋を仕切りたい時のために建具を付けてもかまいません。その時、建具はガラス入りで、見通しが効くものが良いでしょう。引き込み戸にしておけば、よりフレキシブル(融通性が効くよう)に使えます。
内と外:
厚い壁/建物の内と外を仕切る外壁は、工業製品の薄い一枚の平滑な板ではいけません。それは生物の外皮のように、一定の厚みがあり柔らかくしなやかで、空気を吸い込み空気をはき出す、呼吸をするような有機的なイメージを持つものです。壁には、戸棚やニッチ、出窓、造り付けのベンチ、深い窓枠、出窓などが組み込まれたものがよいでしょう。(注:ニッチ niche = 像・飾り物などを置く壁面のくぼみ)
半外部/
屋根と柱があるが、建具は入っていない、縁側のような、半外部の空間は、内のような外のような「あいまいもこ」の空間です。半外部は、機能の限定されない自由な空間です。部屋の外側に、「半外部」があると、人々は
気軽に室内から半外部へ出ることが出来ます。外の庭にいる人たちも、屋外から気軽に「半外部」に入ることが出来ます。このように、室内と外部の中間に半外部の空間があると、室内と屋外の生活が自然につながります。人々の生活が室内に閉じこもってしまうのではなく、外に活動が広がるでしょう。
保育園と街:
保育園と街の連続性はどのように作ったらよいのでしょうか。今後ますます、父母、地域の人、卒園生などが気軽にやってこられるようにすることが求められています。一方で、園児のセキュリティーの問題も見過ごせません。地域の人が集まる場所は入り口近くに配置し、開放的にする。園庭を含む児童のゾーンは、柔らかく守られているという妥協的な、しかし賢明な解決方法があります。しかし、もし園庭で子どもが遊ぶことに不安がある街だとしたらどうでしょう。子どもたちを連れて散歩に行くことも、もはや出来ないでしょう。まして子ども同士が地域で遊ぶこともかないません。そのようなことを想定して保育園を作らなくても良いように、街のあり方そのものを正さなくてな成りません。そしてそのために努めることが必要なのです。園児達が散歩に出かけることで、地域の人々に認知され、それによって地域の人々から守られるという関係を築くことが必要でしょう。もし保育園が高い塀に囲まれ、子どもたちが建築に閉じこめられ、街から子どもの姿が消えたならば、もはや、そのような街は死んだ街なのです。
建築は固い
建築は人々の夢を形にしたものです。新しい園舎が出来れば、皆、大きな満足と期待感を持つことでしょう。しかし一方で、建築はどうしようもく固く、重いものです。時として人を威嚇するほど大きくなってしまいます。そしてひとたび建った後は、頑固で融通が利かない上、いつまでも居座り続けるのです。建築をかつてのように柔軟にすることが必要です。
あいまいな建築をめざして
保育園は、生まれて間もない子どもたちの生活の場です。そのようなもろい人間を扱う施設です。こわれやすく弱い子どもたちです。子どもたちはもろいが故に、周囲の状況に影響されやすいものです。「建築」が子どもたちの行動を強く抑制したり、子どもたちの創造性を奪ったり、子どもの可能性を壊したりすることの無いようにしなくては成りません。保育の場は「あいまいもこ」としています。保育者の思いと子どもの願いにはいつもあいまいなズレが生じます。同じように、保育者や子どもの思いと園舎の間にも、あいまいなズレがあります。このあいまいなズレから保育の場としての、新しい「あいまいもこ」な建築、保育園が生まれることを願っています。

象の福祉に戻る