保育園ってなんだろう?・・・保育園をつくる七つの原則 6
保育園を作るときには、「保育園とは何だろう?」という問を発してみることが不可欠です。その問無しに、具体的な園舎を構想することは不可能に近いことではないでしょうか。また、保育園は常に時代と共にありました。従って、「保育園には今、何が求められているのだろう?」という問いかけがいつも必要なのです。日々の保育の活動を続けるうちに、5年も経つと、父母や社会が保育園に対して望んでいる要望が変化しています。子ども達も、そして自分自身の考えもまた変化していることに気づくのではないでしょうか。第2次世界大戦後、日本がそして世界が経験した時代の変化は、人類史上かつてなかったものです。自然や環境、地域と家庭、コミュニティーと文化などの伝統的資源はことごとく失われてしまいました。そして保育園も、子育てもその大きな変化の衝撃を受けているのです。
託児所から始まる
保育所の発生は、産業革命による鉱工業の発達に伴う安い女子労働力確保の必要によって生まれたと聞きました。明治20〜30年代に多くの紡績工場や鉱工業所に、母親が働いている間の託児所が用意されたそうです。戦後(1947年)に制定された「児童福祉法」は、「保育所は、日々保育者の委託を受けて、保育にかけるその乳児または幼児を保育することを目的とする施設とする。」(児童福祉法「保育所」第39条1項)と定義しています。今日でも保育所は、両親がともに働きに出ていて、昼間の育児が出来ない家庭の子ども達が入所する施設であることに変わりはありません。しかし、成立の歴史に見るような恵まれない子どもの施設といった暗いイメージはもはやありません。子ども達は多様で個性的であるし、保育者の姿勢は自信に満ちています。この間、保育園は柔軟に社会の変化、ニーズの変化を受け止めてきました。この柔軟性自体が保育園の大きな特徴なのです。文部科学省の監督下にあり、機能を大きく制限されてきた「幼稚園」との違いがはっきりと表れた点です。今回は、保育園の過去・現在の変化の過程を探ることで、その未来の姿を考察してみようと思います。
「託児所」から「小さな学校」へ
高度経済成長の中で、核家族、専業主婦の割合が増加するに連れて幼稚園の需要が伸びました。幼稚園は、時代の富裕層である専業主婦の子ども達に、幼児教育を施す場として「豊かさ」というステイタスを持つ場でした。一方保育所は、生活のために共働きを余儀なくされる「貧困」な家庭の子どもが来る託児所とイメージされました。託児所の持つ「貧困」のイメージを払拭するために、保育所の空間モデルとしては、幼稚園の持つ「豊かさ」のイメージ=「小さな学校」が好まれました。今日では多くの人は、板張りの教室が、お昼寝やお昼を食べるのに適しているとは思わない様に、「小さな学校」というモデルが、別に保育園の活動に適していた訳ではないのです。幼稚園を「上位」のものとして感じていたからそれを真似たのです。このことに合理性は薄かった訳ですが、その動機は、子どもたちやその親たちのためにという、愛情が読みとれます。この形跡は、公立のものが「保育所」と命名されるのに対して、私立のものは「保育園」と名付けられるところにも表れました。このように建築の形というのは、必要な機能や合理性からだけで決まると言うより、イメージの総体(象徴体系)から決まることが多いのです。同時期に、女性の社会進出が急速に広まりました。自己実現の一部として働く女性、女性の働く権利を保障する場として、保育園が注目されました。「ポストの数ほど保育所を」のスローガンの下で、特に革新自治体で、保育所の増設が進みました。保育園は働く女性の味方、フェミニスムのシンボルともなりました。自己実現のために働く女性は子どもを保育園に預けて、自分が働くことを誇りに思っていましたので、専業主婦や幼稚園を自身より「上位」に見ることはありませんでした。この時点で「小さな学校」モデルは既に、「豊かさ」の象徴性を失っていたと言えます。
「小さな学校」から「大きな家」へ
自己実現を目指して働く女性も、一方では、「自分の子は自分で育てるべきだ」という概念を信じて、または信じ込まされており、保育所に子どもを預けることに一抹の不安とやましさを感じていました。特に「3才までは母親が育てるべき」という、議論に異を唱える人はほとんどいませんでした。(この点は、今でもそれほど代わった訳ではありませんが)自分は働き続けたいが、子育ても充実させたいという母の願いは切実でした。保育園は、乳児保育、長時間保育への要求に徐々に答えると同時に、家庭での育児の不足を補償するように、より家庭的な雰囲気を持つように適応して行きました。家庭的な雰囲気で、ゆったりとして過ごせる環境が求められたからです。また保育者は、日々の活動から「小さな学校」が、保育の場として、あまり適当ではないことに気づき始めていました。
保育園は「大きな家」のイメージ
このような状況では、もともと機能的な裏付けのない「小さな学校」は、保育者の目に不自然なものと映るようになりました。保育園の空間モデルは、もはや「小さな学校」ではなく「大きな家」だという考えが、徐々に受け入れられるようになりました。「子育ての出来ない親」が増えるにつれ、保育者はますます親の変わりを努めるようになりました。家庭での食生活が悪化すれば、保育園はより充実した安全な食を提供してきました。家庭での育児・生活文化の継承が困難になれば、園では、生活習慣のしつけに努め、四季折々の行事を充実させ、文化の継承にも力を入れてきました。ひな祭りにはひな人形が飾られ、クリスマスには大きなツリーが飾られるなど、家庭のイメージが強化されました。事実、保育園での行事は、家庭での衰退に反比例して、熱心に行われるようになりました。ハードとしての園舎も、「大きな家」をモデルとするようになりました。ミニキッチン、ソファーのある居間のような部屋、出窓にレースのカーテンなどの温かい家庭をイメージさせる言語が保育室に使われるようになりました。スウェーデンなど北欧の保育園への憧れもあったことでしょう。保育園はまさに、「大きな家」としての機能を充実させてきました。このように、保育園は託児から始まり、学校の機能を備え、さらに家庭の愛情を補償する機能まで期待されるようになりました。そしてこれに伴い、園舎の姿も少しずつ変化してきたのです。
「大きな家」から、「みんなの集まる場所」へ
高度成長期、バブル期を通じて、自然や環境、地域と家庭、コミュニティーと文化などの日本の伝統的資源がことごとく失われてしまった、そして、喪失してしまったもののいくつかを保育園が支えていると述べてきました。そして今、最も大きな問題は、コミュニティーの喪失による危機的状況です。この状況に対処するために求められていることは、保育園が、「大きな家」から「みんなの集まる場所」へと役割を拡げ、新たなコミュニティーを再編する核になることだと思います。
子どもたちの集まる場所
子ども達がコミュニティーを失った影響は、遊びの変化に現れています。友達と群れて遊ぶことがない、異年齢で遊ぶ機会がない、外で遊ぶことがないという形で表れています。家庭でも地域でも子ども達の遊びは、大きな制約を受けているからです。多くの保育園が、群れて遊ぶ、異年齢で遊ぶ、外で遊ぶことに積極的に取り組んでいることは素晴らしいことです。保育園は子ども達が集まって遊ぶ場所、集まって過ごす場所としての意味、機能に注目する時期にあるのではないでしょうか。保育園の環境と
多治見中学校(岐阜県多治見市)/
中庭を地域に開放して行ったバザー
やコンサートなどの様子
しては、園庭について言えば、「小さな学校」の様なグランドよりも、大きな木があり、草花があり、池や小川があり、小山があり、芝生の広場があるなどの園庭の方が相応しいでしょう。室内については、静的な生活を守りつつも、より多様な活動が出来るような配慮が求められるのではないでしょうか。
卒園生の集まる場所
子ども達を無条件に受け入れ愛情を注いでくれる保育園の存在は、子ども達の貴重な原体験の場として、子ども達の心に強く残るようです。いくつかの保育園では、卒園生の集まる場所、子ども達の思い出の場所としての役割に取り組んでいるところもあります。園庭にある大きな木、特徴的な園舎の形など、子どもたちの思い出に残るような工夫も必要でしょう。卒園生に限らず、地域の小・中・高校生を保育園に引きつけることは重要です。彼らが保育園にやってきて、園児と一緒に遊ぶ機会が増えれば、どんなに楽しいでしょう。そして遊びも、ますますダイナミックなものが現れるでしょう。彼らが、特に用のない時でもふらっと園に遊びに来られるきっかけを作りましょう。園のどこかに小さくても良いから、彼ら専用の部屋、もしくは小さなコーナー、机、またはロッカー一つでも自分たち専用のものがあることが有効です。
母親・父親の集まる場所
核家族で、地域から孤立した家庭の母親たちが、子どもが保育園に通い始めたことをきっかけに新たなコミュニティーに参加することが出来ました。保育園が母親達のコミュニティーを形成する役割を担ってきたのです。さらに現在は、家庭で子育てをする専業主婦への「子育て支援」が課題としてあがってきています。一方、父親達は、地方から都市に働きに来て、故郷の地域コミュニティーは失っても、新たな会社コミュニティーが支えていてくれました。仕事が終われば、焼鳥屋で一杯飲みながら、心を分かち合うことが出来ました。しかし、近年の会社リストラクチャリングにより、構造的に会社コミュニティーも失われてしまいました。ここに於いて保育所が再び問題解決に立ち上がっています。「親が休みの時は、出来るだけ子どもは保育園を休ませる」、という方向が再考されつつあります。親が休みの日には保育園に来て保母と一緒に保育する、または、父親グループが「自力建設」に参加するなど、新しい動きが始まっています。
ひかり保育所(北海道帯広市)の
夏祭り。子供たちだけでなく、父母の
交流の場となっている。
地域の人たちが集まる場所
子ども達が、様々な(優しくしてくれる)大人達と触れ合えることが求められています。同時に多くの地域の人たちが、子ども達に奉仕することでコミュニティーの一員となることを望んでいるのです。
保育園は、これら地域の人と、どのように新たな関係を築くかが問われているのだと思います。このためには、オープンで入りやすい雰囲気を作ることや地域の人が専用で使えるスペースを用意することなども必要でしょう。そのためのプログラムの開発も必要でしょう。同時に、セキュリティーとの兼ね合いで、ハードとソフトがバランスを取ることを忘れてはいけません。
新しい機能
サークル活動を支援する保育園が少しずつ現れています。遊戯室や保育室を使って、バンド活動が始まったり、絵画や陶芸などの活動などがあります。夜の園舎を使って、親や地域の人が楽しんでいます。新たに園舎を作るときにはこのような活動も視野に入れて考えてみて下さい。イギリスでは公立の小学校にバーがある所もあって、地域の人が夜集まりビールを一杯ということも行われています。日本の文部科学省は小学校に、このようなことをとても認めてくれそうな雰囲気はありませんが、どうでしょう、私立保育園ではこんなことも可能ではないでしょうか。コミュニティーの再編に向けて様々な場面で期待されている保育園ですが、この問題は、街作り、都市計画と共に議論されなくてななりません。保育園を作るときには小公園をセットで作る。集会所や宅老所もその公園の周りに作る。福祉
イギリスの小学校のバー
NPOの事務所を併設する。小・中学生の登校拒否児童の相談に乗る、などなど、様々な可能性が考えられます。またコミュニティーセンターやカルチャーセンターのように、サークル活動や文化活動の機能もより強く求められるでしょう。「子育て支援」ではなく「コミュニティー支援」というメニューが出来る日が来るかも知れません。実際問題、「子育て支援」のスペースを、より多様な活動を想定して設計する必要がありそうです。こうしたコミュニティーの様々な問題に取り組むためには、保育園の組織も運営も、より開かれたものになることが求められるでしょう。
子育ての共同化が今日のテーマ
かつて、働く女性が本当は保育園に預かって貰うのではなく、自分で育てる方が良いのだけれど、というやましさを抱いていたことも多かったと思います。しかし、子どもは親が育てるのがいちばん良い、という考え方にも少しずつ変化が起きているようです。核家族の中で親と子が孤立した状態の子育てよりも、親しい他人の中で子どもを育てる方が、実は子どもにとっても親にとっても良いことだと言う考えが、支持され始めています。地域と家庭が一緒になって子どもを育てること、そして保育園がその核(中心)となること、それが期待されていることです。子育ての共同化が今日のテーマになりつつあるのではないでしょうか。

この半世紀、激しく変化する社会にあって、保育園は常に子育ての視点から日本の福祉を柔軟に支えてきました。そしてこれからも、保育園は、ますます多様な形で福祉に取り組んで行くことになるでしょう。私の限られた見聞からですが、日本の保育園は健全で、きわめて質が高いものと感じてきました。世界に誇れるものだと思います。様々な問題を抱える日本の現代社会ですが、保育園とそこでがんばる園長先生や保母さんたちを思い浮かべると、頼もしく思います。

保育園は希望です。

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