自力建設・・・保育園をつくる七つの原則 5
自力建設とは,単に具体的な建設を指すのではありません。自らの地域を,自らの手でつくり上げてゆく哲学です。近代の制度を超え,地域を超える生命の叫びです。方法論を場所にもち込むのではなく,場所がもつ初源的な力を発見し,それらを収斂させることなのです。機械よりは多くの雑多な人々,知識よりは知恵,速さよりは持続力,理性よりは情熱,妥当よりは過剰,結論よりは終わりのない問いかけ,形姿に求められるものは魔力。
なぜ自力建設か?
保育園の環境を向上、改善していくことを考えるときに、なぜ自力建設などが必要なのだろうか、と思われた方も多いかと思います。建物を作ること、改築することは専門家のすることで素人で出来るものではない、またそんな時間もありそうにない、と思われたことでしょう。「自力建設」というと少し大げさな響きもあるのですが、建設への「参加」というふうに捉えてみて下さい。程度の差こそあれ、誰でも参加することが可能です。そして一度でもそれを経験すれば、「自力建設」が保育園の環境を高めるために大変有効な手段であることがわかって頂けるのではないかと思うのです。まずは「自力建設」の意義、「参加」の意義についてお話ししたいと思います。園長先生の中で、現在の園舎や園庭の計画を自らが参加し作り上げ、そして満足なさっている方はとても少数ではないでしょうか。たいていは、行政や前任者から引き渡された施設なので、多少の不満は抱えているにしても、しようがないと思われているのだろうと思われます。たとえ困った箇所があったとしても、そうそう予算がある訳でもないのですから。環境に不満を持つよりも、ソフトである保育に集中する方が確かなことだと考えるでしょう。

環境は自分の手で変える
どんなに小さなことでも「自力建設」を経験してみると、環境は自分で変えることが出来るのだと気づくことが出来ると思います。環境は、与えられるものだと我慢しているだけのものではないこと、あきらめることもないことが感じられると思います。これが重要な点です。ひとたびこのことを実感すると、よりよい保育環境を創るための想像力と意欲が湧いてくるでしょう。この想像力と意欲が年月の中で少しずつでも蓄積されて行けば、必ず素晴らしい環境の保育園が実現できると思います。

段階的建設
さて園舎の建て替えが決まり、いくつか新しい保育園の見学をし、設計者にその思いを伝え、新しい園舎を心待ちにしていたとします。しかし残念ながら、必ずしも満足の出来る園舎が出来るとは限りません。むしろ、こんなはずではなかったと思うことが多いのではないでしょうか。その原因は様々ですし、それを回避するための方策もいろいろあるのですが、それは別の機会にしたいと思います。要は、素晴らしい環境を創ることはとても難しいと言うことです。なかなか、一度の工事で完成できるものではありません。しかし完成した建物が不満足なものであっても、がっかりしてばかりも居られません。そこで「自力建設」が役に立つのです。少しずつでも年月をかける内に確実に環境は成長して行きます。保育園では、様々な細部が重要な役割を果たしていますから、日々そこで生活しながら少しずつ積み上げ、作っていくことが意味を持つのです。むしろそのように段階的に作られた環境こそ本物の良さが表れるでしょう。

指導者を捜す
さて自力建設を始めるに当たって、まず、技術的な指導をしてくれる、指導者としての職人を捜して下さい。職人が少なくなったとは言っても、日本はまだまだ職人の宝庫です。高齢になって現場を引退した大工、左官、家具職人などが、必ず身近にいるものです。そしてボランティアとして、あるいはきわめて慎ましい謝礼で、喜んで協力してくれるでしょう。その様な人が一人指導に当たってくれれば、あとは全て素人の集まりでも驚くようなものを作り上げることが出来るでしょう。

「自力建設」は人々を結びつける
保育園での自力建設は、父母や卒園生達や地域の人々が主体となって進めることになります。つてがあれば大学で建築や造園を学んでいる学生達に協力を呼びかけるのも良いでしょう。リーダーまたはまとめ役になる人が必要ですが、それは園長先生または職員の誰かが担当しなくてはなりません。「自力建設」は、自らの地域を自ら作り出すという哲学です。自力建設を通して、参加した人々は交流を深め、仲良くなるものです。そこに共同作業の持つ意味の大きさがあります。だから出来るだけ多くの人々を巻き込む仕組みを作ることが重要なのです。人々の交流に意味を見いだすならば、工期は無限に延長しても良いのです。保育園は保育を通して、孤立していた地域の母親のコミュニティーを支えてきました。しかし今日では、男性社会のコミュニティー(学校、会社コミュニティー)が深刻な状況になっています。保育園の自力建設は、一見保育の問題とは関係がないようですが、孤立した男性、父親達を保育の現場に引き込み新たなコミュニティーの形成を促します。同時に、保育園を地域に開き、ますます地域との一体感を増すことに寄与するでしょう。

何から作るか
自力建設を始めると言ってもいきなり建物を作ろうとするのは難しいことです。花壇や畑、植物棚や動物小屋等を作ったり、具合の悪いドアの修理等から始めるのもよいでしょう。まずは別に役に立たなくても良い、手仕事を楽しむというくらいの気持ちで始めて下さい。材料は出来るだけその土地で手に入りやすいもの、出来ればただの材料を見つけて下さい。また技術はその土地で普遍化しているものを使います。地域のお年寄りが指導者になってくれるようなものなら最適です。

土で遊ぶ
土は、自力建設の入門に相応しい材料の一つです。材料の入手についても、地方ならば安く手に入れられます。また加工に特殊な道具や技術も必要ありません。(写真3)は、土で作ったパン釜です。土をこねてパン釜を作るのも楽しいのですが、今度は小麦粉をこねてパンを焼くもう一つの楽しみが増えました。ひかり保育所(写真4〜5)では、土団子の壁を作りました。すさを入れた土をよく練って、素手で団子に丸め天日で乾燥させます。それをモルタル(セメントと砂を混ぜたもの)を使って壁に積んで行きます。建設会社に頼んだら大変高価な仕上げですが、自分たちで作ったおかげで、手間にも材料にもほとんど費用がかかりませんでした。参加した人たちも楽しめて、しかも親しみがある魅力的な表情の壁が出来ました。

壁を塗る
壁を塗るのは特殊で高度な職人技術と思われていますが、素人が土壁を塗ることも十分可能です。材料の選定や調合については、専門家のアドバイスを受けた方が良いでしょう。しかし、壁を塗る技術については、優れた職人のように完璧に平滑でむらなく仕上げることは出来ませんが、ムラがあってもかえって味のある壁に仕上げることが出来ます。素手で土を直接直接塗り込んだ壁仕上げと言うのもあります。洗練されてはいませんが素朴な味が出ます。(写真6)は漆喰をコテでおおよそ平らにし、表面をスポンジや刷毛でこすって表情を付け、フレスコ画で仕上げたものです。誰でも出来る比較的簡単な技術で、満足出来る仕上げが出来るでしょう。土壁や漆喰壁のような左官の塗り壁は、時間も手間も掛かると言うことで、今日では高価なものになってしまいました。一方、石膏ボードにクロスを接着剤で貼るような仕上げの壁ばかりが増えてしまいました。そしてその接着剤から放出されハウスシック症候群の原因ともなりました。土壁は、安全で美しく湿度を調節するなど、今なお多くの魅力を持つ仕上げです。もう一度、「自力建設」によって復活させてみてはいかがでしょう。

竹で遊ぶ
竹もまた扱いやすい材料です。竹は、北海道・東北を除く日本の広範な地域で見られます。しかも最近では、竹が里山に浸食して、里山を荒廃させ、困らせているという問題があります。山の地主と交渉すれば、喜んで竹を切らせてくれ、ただでその材を手に入れることが出来ます。しかもそれが環境保全に貢献するのです。(写真7〜9)は、ワークショップで作った、様々な竹の作品です。伊豆にはバンブーオーケストラというものがあります。参加者みんなで山から竹を切り出してきて、それを材料にして竹の楽器を作ります。そしてその楽器を演奏する楽団なのです。最近では、各地のホールから演奏を依頼される本物の楽団のように活動が拡がりました。参加者はもともと作ることも演奏することも出来ない人たちだったのです。竹を使って、幅広い遊びが生まれました。

色を塗る
(写真10)は、石灰刷毛塗りです。石灰に色粉を入れ水で溶き、刷毛で塗ります。コンクリートやブロックなどの壁に適しています。ペンキよりも扱いやすく安全で、誰での簡単に塗ることが出来ます。とても安価な材料です。古い建物も外壁を塗り替えただけで見違えるようになりました。塗装をするときはその下地作りが大切で、下地がきれいでないと塗装が上手くいかなかったり、剥がれてきたりします。しかしあまり気にせずに気楽に塗って下さい。自力建設はトライアンドエラーが基本です。失敗したらまたやればいいのです。失敗もまた楽しい過程です。(写真11)は、モザイクタイルの埋め込みです。作業に入る前にどのようなデザインにするかよく考えて始めましょう。デザインを考えるとよりいっそう楽しくなります。(写真12)は、瓦を道に埋め込みました。美しくしっとりとした道になりました。自力建設は継続することが大切です。継続することで、道具も経験も人も蓄積されてきます。継続するには、先ず楽しむことです。無理をせず気軽に、楽観的に楽しい未来を描きましょう。

近代を超える
今日の社会では、全てのことが分業化されていき、生活の全体像が見失われてしまいます。近代工業社会の中では、手仕事、装飾、個人的なもの、趣味的なもの、普遍的でなく、恣意的なもの、非効率的なもの、これらのものは排除されてしまいがちです。一見無駄と思えるもの、しかしこれらのものなくしては成り立たない世界に、私たちは生きています。「自力建設」は、これらの価値を再評価し、生活の全体像を回復する可能性の一つと思うのです。多くの人たちが協力して作り上げた「もの」たちが、やがては共同体のシンボルとなり、地域の記憶を留めることを願っています。


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